沖縄本土復帰40周年記念作品・劇団トマト座創立25周年記念作品
中学・高校・一般対象 〈劇〉90分

ひめゆり

~美ら海からの伝言~
Message From Churaumi

ストーリー

現代の沖縄県那覇市、とある国際高校では生徒達が沖縄民謡の練習に余念がない。近づいた戦没者慰霊の日の為だ。だが生徒達には慰霊のイベントは旧い世代からの慣習としか感じられない。
そんなある日、一人の転校生がやって来る。祖父がアメリカ人、祖母が日本人、いわゆるクオーターである。馴れ馴れしいジョージと主人公百合とは初対面からソリが合わない。ささいな口論から戸外に駆け出した2人を、季節外れの台風と落雷が襲う。その瞬間2人は、時のはざまを過去へと飛ばされてしまった。2人の眼前に広がる光景…! そこは1945年、太平洋戦争末期の沖縄だった。それも日米両軍が激突する沖縄戦の真っ只中だったのだ。
そこでは非戦闘員であるはずの「ひめゆり学園」の少女達が学徒隊として日本軍に動員され、百合はその一員として、ジョージは米軍の兵士として敵味方に別れ、それぞれ苛酷な戦場での生活を余儀なくされていく。
現代の若者2人は戦場で何を見、何を体験していくのだろうか。
2人の目を通して語られる戦争の実相、鉄血勤皇隊の学徒との淡い交情、凄惨な戦場にあっても未来への希望を託す島民の想い。友情と死を乗り越えて百合・ジョージの2人は無事現代へと帰還を果たせるのだろうか…!

制作意図

かつて沖縄の美ら海は、血で赤く染まっていました。1945年3月23日からおよそ90日間、15歳~19歳までの「ひめゆり学園」222余名の少女たちは、学徒隊として日本軍に動員され、内123名が死亡したのです。
「人間が人間でなくなる」戦争の尊い犠牲でした。
今若者たちは、現代社会を覆う閉塞感から未来に対して漠とした不安の中に生きているように思えます。 そうであるならなおさらです。そこで上記のE・H・カーの言葉ですが、勇気を持って過去と向き合うことで、今一度、いえ繰り返し、平和の大切さや生命の尊厳を学ばねばならないと考えます。
「ひめゆり」~美ら海からの伝言~は、そんな想いで企画されました。ご期待下さい。

劇団トマト座 制作部

スタッフ

脚本:だんいっせい・井上正登
演出:だんいっせい
演出助手:伊東孝則
制作:水内壽子
美術:ガランアート企画
音響:丸山英美子
照明:スペースライン
衣裳:佐川恵麻
歌唱指導:深町エリ

復興と再生につながるドラマでありたい!
「命(ぬち)どぅ宝(命こそ何よりも大切な宝物だ)」

私たちは先の大戦(太平洋戦争)で、この国の歴史上かつてない、多くのものを失いました。その代償に命ほど尊く大切なものはないということを学びました。そして、3・11の大震災で再びそのことを思い知らされたのです。
「生きている限り、何度も何度でも、人は立ち上がれる…」
これは福島のフラガールたちが唄う「アイナふくしま」の一節ですが、どのように大きな試練にあっても、必ず乗り越えられるという希望の詞でもあります。
その為には、私たちは勇気を持って過去と向き合い、体験を風化させてはならないという強い決意が必要です。
その上で、未来へのこれからの生き方・指針を模索すべき時ではないでしょうか。
そんな思いでひめゆり学徒隊の悲劇を取り上げました。
人が人である限り、どのような過酷な運命にあっても、生命の輝きは損なわれることはない。
ひめゆり学徒たちの生き様は、そのことを教えてくれます。人間を人間でなくしてしまう戦争。
こんな体験を二度と若い世代にさせてはなりません。
抗いようのない戦火の中をひたむきに生きた一群の少女たち、その過酷な運命。少女たちの視線の彼方に、私たちは生きている。生かされている気がします。
どうか、舞台を通じてひめゆり学徒たちの心を感じ取って欲しい、知って欲しい。
そう願うばかりです。 / 作・演出 だんいっせい

観劇後にお寄せいただいた感想

◇中学校・高校の先生方へのアンケートより抜粋

● 平和憲法が変えられていくのではないか、また日本も戦争に加担するのでは…いつかそういう時が来たらこの生徒たちはどうなるのだろうという不安がありました。平和はどうやって守っていき、築いていくのか、中学生なりに考える機会を設けられると思い、依頼しました。生徒は、きちんと受け止めたようです。史実に限りなく近づけていただいてありがとうございました。(鹿児島県)

● 迫力のある演技で見応えがあり、長時間にもかかわらず、生徒の方は惹きつけられ真剣に見ている様子でした。特別支援の生徒たちにもしっかり伝わり、もう一回観たいとまで言っていました。日頃は集中できず、すぐ私語をしたり動き出す生徒たちが見入ってしまって静かに観劇できたことにも本当に良かったとありがたく感じました。(岡山県)

● 五感で訴えてくるこの「ひめゆり」は、生徒たちに強く印象づけられ、戦争の悲惨さと共に、命の大切さについて考えるよい機会であったと思います。(愛知県)

◇生徒の皆さんの感想文より抜粋

● 今回の演劇を鑑賞して初めに感じたのは「命の大切さ」です。劇の中ではたくさんの負傷者が出てくるシーンや人が死んでしまうシーンがありました。現代ではありえないような「人が隣で死ぬのは当たり前」という感じが伝わってきて、なんだかぞっとしました。それが当たり前で、慣れて、なんとも感じなくなるということが「人間が人間でなくなる」ということで、それが戦争の怖さなんだなと強く思いました。今、私たちはこうやって平和に楽しく生きていられるけれど、ほんの数十年前には「人間が人間でなくなる」時代があったのだと、とても印象的でした。(山形県・中3女子)

● 知らない事がたくさんあった。今まで「死ね」とか「だまれ」とか言ってる自分を恥ずかしく思った。生きたくても死んでしまった人もたくさんいるのに。命の価値観の違いにも驚いた。だって現在は「命を大切にしよう」なのに、その頃は「お国のために命を捨てよう」なのだから。わたしも命を捨てるのは反対だけど、その戦争の状況を見たらやっぱりそう思ってしまうのかな。(大阪府・中1女子)

● 戦争を本当に生で見たような感じでした。ただ戦争はアカンとか言うだけでは何も意味がないのだと思いました。私達にとって、こうやって学校に行っておいしいご飯を食べて、家族や友達と過ごすことは普通のことです。でもそれって本当はめっちゃありがたい、幸せなことなんだって改めて実感しました。戦争が終わって68年の長い年月がたち、どんどん体験した方も少なくなっていきます。でもどんなことがあっても忘れてはならないし、二度としてはいけません。絶対にそのことを忘れません。(大阪府・中3女子)

◇「ひめゆり」沖縄公演をご覧くださった ひめゆり平和祈念資料館職員の方にいただいたご感想(一部抜粋)

● 「ひめゆり」を上演してもらったことには大きな意義があると思います。
舞台を観て、体験者たちから聞かせてもらった証言を反芻し、あらためて、10代の彼女たちが懸命に戦場で生きる姿を想像していました。そのことが、とても意味があることだと思いました。こういう機会がないと、ひめゆり学徒隊の事実に全くふれることがないまま大人になってしまう子が沖縄の中にもいると、私たちは思っています。沖縄の高校で「ひめゆり」を上演してもらったことには大きな意義があると思います。

● 『慰霊の日なんて面倒くさい』
印象的だったのが、冒頭の「慰霊の日なんて面倒くさい」「戦争なんて嫌いだし、考えたくない」という意味のセリフ。一気に、みんながシーンとなって劇に引き込まれたように感じました。勝手な推測ですが、今の高校生たち、同じように思っている子たちはいっぱいいると思います。でも、あのセリフを聞いて初めて、客観的に「こんな風に聞こえるのか」と、何か「はっ」としたのではないか、と思いました。

● 戦争のことを知るという「経験」
「伝えたい」という強い思いがあればその思いは伝わる、とトマト座のみなさんの演技を見て感じました。「戦争体験は体験者にしか伝えることができない」という意見があります。でも、体験者と全く同じには伝えることはできなくても、私たちが何を伝えたいのかを明確に持っていれば、その思いは伝わるのだと信じています。すぐに伝わらなくても、戦争のことを知るという「経験」をすることで、次の何かのきっかけで、思い出し考え出す「種」になるかもしれない。体験者の人たちもきっとそれを信じて、伝え続けてきたのだと思います。